死んだらどうなるの?〜死後の世界を考える〜

ここを読んでいるあなたは、今何となく満足した心が生じているかもしれませんが、あなたを動かしている意識においては、何となく物足りない人生を送っているのではないでしょうか、、、

臨死体験の研究は進んでいる

1、臨死体験は「幻覚」なのか

 

現代では医療の発達によって、

一度は死にかけていた人が蘇生することが多くなってきました。

中には確実に臨終を迎えたはずの人が、

かろうじて死の淵から蘇ってくることもあります。

そんな人たちの中に、

ふつうでは考えられないような体験をする人たちがいます。

その体験というのが臨死体験です。

 

果たして、この体験はただの幻覚なのでしょうか。

 

現代でもこの体験に興味を持つ人たちは多く

例えば、研究者として有名な

レイモンド・ムーディ博士や

エリザベス・キュープラー=ロス博士、

日本でも評論家・ジャーナリストとして立花隆氏が、

臨死体験についての報告を行なっています。

 

一度死んだ状態になった人たちは、

意識が消滅するプロセスではなく、

死後も意識が存続する可能性を示唆する

体験をしていると言えるでしょう。

「幻覚」か「真実」か真剣に検討してみなければなりません。

 

 

臨死体験に見られる共通点

 

臨死体験には共通して次の要素が見られます

 

  • 言葉では表現することが困難である
  • 自分の死の宣告が聞こえる
  • 心の安らぎと静けさに満ちている
  • 耳障りな音が聞こえる
  • 暗いトンネルを通過する
  • 物理的肉体を離れる
  • 自分に霊的肉体が備わっている
  • 他の霊的存在と出会う
  • 輝く光を見たり、それに近づいていく
  • 自分の生涯の振り返りを行う
  • 「この世」と「あの世」の境界に近づく
  • 蘇生する

 

ただし、これらの要素が一つの臨死体験

すべて現われるというわけではなく

生前の信仰などによって

体験の内容に違いが見られることもあるそうです。

 

それでも、臨死体験者に共通する体験の

中核となる部分を簡潔にまとめると、

次の3つは世界中で普遍的にみられる現象なのです。

 

  1. 体外離脱体験
  2. トンネルのようなものをくぐり抜ける
  3. 非常に明るい光を見る

 

 

2、臨死体験の体験談

 

臨死体験の具体例として

愛媛大学教育学部中村雅彦助教授(教育心理学)の

研究事例のうち当時29歳だった女性Aさん(仮名)

の話を引用してみたいと思います。

 

Aさんは2回にわたって臨死体験をしていて、

臨死体験のもつ特徴的な要素を

ほぼ完璧に網羅しているという点で

たいへん興味深いものです。

 

『体験1』

 

Aさんは中学一年生のときに、交通事故に遭った。

そのとき奇妙な体験をした。

 

なぜか自分の体を自分自身が上のほうから眺めているのである。

事故の現場の様子ははっきり見えている。

ただ、様子を眺めている自分には体があるという感覚はなかった。

フワフワ宙に浮かんでいるような感じで冷静に眺めている。

 

やがて、ゴーッというものすごい騒音が聞こえてきた。

とても耳につく嫌な感じの音だ。

彼女は狭くて暗い空間のようなところに急速に吸い込まれていった。

トンネルのような感じである。

 

突然空間が広がって明るくなった。

見るとまわりにきれいな花が咲き乱れる場所に出ていた。

川も流れている。

この風景はたいへん現実的なものだった。

まるで立体写真を見ているようである。

 

彼女の目の前には道が続いていた。

二つの道が見える。

その道は金色に輝いている。

ちょうど分岐点のように二手に分かれている。

向かって右のほうの道はとてもきれいだった。

しかし、左のほうの道は嫌な感じがした。

 

そこで、右の道のほうへ進もうとすると、

向こうに男の人が立っている。

彼は大声で彼女に向かって叫んだ。

 

「こっちに来るな!!!」

と彼は言う。

 

その声は風呂場の中で音が反響するように、

大きくエコーがかかっていた。

やがて意識がなくなった。

 

次に気がつくと元の自分の体に戻っていた。

 

『体験2』

 

Aさんは17歳のとき、またしても交通事故に遭う。

そして、ふたたび奇妙な世界をかいまみた。

 

気がつくと、とてもきれいな草花が咲いている、

花園か草原のようなところにいる。

彼女は楽園のような場所でひとしきり遊んでいた。

そこはこの世にはない色彩に溢れている。

 

しかし、とてもリアルな世界だ。

しかも彼女は、自由自在に空中を飛ぶことができるのである。

フワフワしてとても気持ちがいい。

 

突然ゴーッという大きな音が聞こえはじめた。

 

目の前に真っ白な光が現われた。

 

その光のなかに男の人の姿が見える。

この光に導かれていくのが気持ちいい。

彼女はその光の中に入りたいと願った。

早くしないと光は遠ざかってしまう。

 

彼女は光のトンネルの中に吸い込まれていった。

グングン下へ下へと降りていく感じがする。

 

トンネルを抜けると、

「こちらの世界」の様子が見えた。

病院の処置室に自分の体が寝かされている。

ひどい傷を自分の体は負っている。

医師と看護婦が忙しく動いて自分の体に処置を施しているのを

彼女は上のほうから眺めている。

そのまわりに家族の姿も見えた。

 

家族は大声で泣きわめきながら、

何度も彼女の名前を呼んでいる。

しかし、上のほうにいる彼女の意識は冷静で、

家族が着ている洋服の色などを観察していた。

 

とそのとき、

処置をしていた医師がこう言った。

「もうだめです。覚悟してください」

しばらく間をおいて、

「心臓と呼吸がとまっている」

と事実上死を宣告された。

家族がまたドッと声を上げて泣きだした。

その医者の発言を聞いて彼女は怒りを覚えた。

「私はここにいる。 私は死んではいない!!」 

と何度も叫んだ。

でも、彼らは「上にいるAさん」の存在に

まるで気づかないのだった。

 

こうして医師に絶望だと言わしめた彼女の容態だったが、

数分後心臓が動きだし、今回も一命をとりとめた。

 

そして事故から三日後、

彼女の意識が戻った。

彼女の意識は元の体にちゃんと納まっていたのだ。

 

彼女の言葉によると、

一回目の体験よりも二回目のほうがはるかに気持ちがよかったという。

それに、見えた世界も自然な感じでリアルだった。

 

f:id:ONoyn98dji:20191004025034j:plain

引用 “中村雅彦「超心理学入門』” 光文社より

 

 

3、臨死体験の特徴

 

キュープラー=ロス博士やムーディ博士によると、

このような臨死体験には、いくつかの特徴があるとのことです。

 

  1. 人種や民族、性別、生活水準、学歴、年齢といった要素は、臨死体験の有無やその内容に影響しない。
  2. 体験者がどの宗教、どの宗派を信じていたかということも、臨死体験の有無にはほとんど影響を与えない。
  3. 臨死状態に至る状況要因(病気・事故・自殺)と臨死体験の有無、その内容との関連性も、特に認められない。

 

つまり、死に臨んだ場合、

どのような条件にある人たちでも共通の、

同じような体験をするということです。

 

それは、死後の世界は存在しないと考えている

無神論者でも同じなのです。

 

もし、これが単なる幻覚や思いこみであったとしたら、

これだけの共通性が見られることが説明できるでしょうか。

 

1981年のギャロップ調査では、

アメリカ人の成人のうち、約20人に1人が臨死体験をしている」

といいます。

アメリカの全人口にあてはめると

800万人という数字になります。

 

つまり臨死体験は、広範な現象なのです。

 

また、心臓学のマイケル・セイボム博士の調査によると、

「瀕死状態に陥った人の約40%が臨死体験をしている」

とのことです。

 

そして、臨死体験は、

体験者が死の状態に近づいていればいるほど発生率が高いです。

つまり、臨死体験をしなかった六割の人たちは、

生命の危険度が比較的低かったと考えられるのです。

 

これは、言い換えれば、

そのまま生き返らなかったとしたら、

ほとんどすべての人が

「死の際に臨死体験を経験する」

ということになるのではないでしょうか。

 

臨死体験のときには体外離脱体験が起こりやすい』

 

臨死体験者の多くは、

意識不明の重体に陥ったときに肉体から意識が遊離して、

自分自身の肉体や自分の周りを取り囲む

親族や医者を上部の空間から見下ろす、

といった不思議な体験を一様にしています。

 

つまり、すでに検証した「体外離脱」体験が、

臨死状態で起こるわけなのです。

 

例えば、医学的知識が全くないのにもかかわらず、

自分が医者に「死んだ」と判断された後、

自分にとられた治療を完全に覚えていて、

その様子を後から詳しく話してみせて、

担当医師を仰天させた人もいます。

 

また、蘇生に励んでいる医師たちを上から見下ろし、

そのときの服装の色や特徴、

会話の内容などを、

蘇生後に正確に言い当てた例もあります。

 

『肉体から分離した意識状態を経験する人々』

※ここでは参考文献として飯田史彦さんの論文「生きがいの夜明け」を参考にしています。

 

自分が自分の上空に浮かんでいる記憶を持つ被験者は、

いわゆる「臨死体験」の研究でも頻繁に報告されている。

 

例えば、ワシントン大学小児科助教授の

メルヴィン・モース博士は、

薬物の副作用で意識を失った女性の、

次のような体験を報告している。

 

見おろすと、

病院のベッドに横たわっている

自分の姿が見えたんです。

まわりでは、お医者さんや看護婦さんが忙しく働いていました。

 

機械が運ばれてきて、ベッドの足元に置かれるのが見えました。

箱みたいな形で、ハンドルが二つ突き出していました。

牧師さんが入ってきて臨終の祈りを唱え始めました。

 

私はベッドの足元に降りていって、

劇の観客 のように一部始終を見ていました。

ベッドの足元の壁に、時計がかかっていました。

 

私にはベッドに寝ている自分の姿も、

時計もよく見えました。

午前11時11分でした。

 

その後、私は自分の身体に戻りました。

 

目が覚めた時、

ベッドの足元に自分が立っているんじゃないか

と捜したのを覚えています。

 

また、ダラス市民病院の医長を勤めた

ラリー・ドッシー博士の確認によると、

手術中の緊急事態で

1分間ほど心臓が停止したサラという女性患者は、

全身麻酔で意識を失っていたにもかかわらず、

手術室の光景を確かに見ていたうえ、

手術室から抜け出て他の部屋までさまよったという。

 

心臓が停止したときの外科医と看護婦の緊迫したやりとり、

手術台にかかっていたシーツの色、

主任看護婦のヘアスタイル、

各部屋の配置といった手術室内部のことのみならず、

手術室外の廊下の手術予定表に書いてあった走り書きや、

廊下の端にある医師控え室で手術が

終わるのを待っていた外科医の名前、

麻酔医が左右別々の靴下を履いていた

というような些細なことまで、

サラの証言はどれも正確なものであった。

しかも、これらの情報は、

たとえサラに意識があったとしても、

決して見えるはずのないものであった。

 

なぜなら、サラには、

生まれつき視力がなかったためである。

 

なお、18種類もの学位を持つ

エリザベス・キュープラー=ロス博士の研究によると、

過去十年以上も視力がなく目の見えない患者たちが、

臨死体験中に、自分を見舞いに来た人々の洋服や宝石の色、

セーターやネクタイの色や形までを確かに「見」て、

正確に描写することが証明されている。

 

さらに、エモリー大学心臓学教室助教授の

マイケル・B・セイボム博士は、

臨死状態で自分の身体の上空に浮かんで

様々なものを見た患者たちについて調査し、

 

「肉体から抜け出している間、

本人の意識は、肉体ではなく

『分離した自分』の中にあるのだが、

完全に覚醒しており意識水準も高く、

驚くほど思考が明晰になる。」

と報告している。

 

引用 論文 “飯田史彦「生きがいの夜明け』”

 

『人は死んだらどうなるのだろうか?』

~真実を追い求めた先に何があるのか~

 

私はこの大きな問題の答えを求め

いろいろな資料や文献を調べてきました。

驚くべきことに、この大問題は、

哲学や宗教の分野に収まらず

なんと科学者の研究対象にもなっていました

 

その科学者の真面目な研究対象として、

臨死体験前世療法」

「過去世を覚えている子供たちの証言」

などがあります

 

ここでは皆さんに、私が調べてきた中で、

より論理的で筋が通っていると思われるお話を中心に、

ご紹介していきたいと思っています。

 

この私の記事やまとめるにあたって参考にした資料が

「死後の世界」という未開のものについて

真剣に考えているあなたにとって

必ずや有益なものとなることを

信じています