死んだらどうなるの?〜死後の世界を考える〜

ここを読んでいるあなたは、今何となく満足した心が生じているかもしれませんが、あなたを動かしている意識においては、何となく物足りない人生を送っているのではないでしょうか、、、

13 チベットの死者の書に描かれた死後の世界

 

死者の書」は何を語っているか

 

古代の叡智が結集した「死者の書

 

臨終から死後の世界への移行のプロセス、

そしてそのときの対処法などを記したものに、

死者の書」と呼ばれるものがある。

すでに紹介した『エジプト死者の書』、

キリスト教死者の書とでも呼ぶべき

『アルス・モリエンディ』冊子群のほかにも、

様々なものが存在している。

 

死や臨終の問題に特に専念している

古代のテクストは、

ふつう「死者の書」と呼び慣らわされている。

最古のテクストはいわゆる

『エジプト死者の書』である。

それは、『ペル・エ ム・フル』と呼ばれる

文献集から編まれた、

古代エジプトパピルス文書の集成であり、

「光の中への出現」もしくは「日の中への出現」と訳されている。

このような文書の中で最も有名なものといえば、

おそらく『チベット死者の書』であろう。

これは『バルド・トェドル』あるいは

「死後の段階の聴聞による解脱」

という名で知られている。

 

中央アメリカには、『マヤの死者の書』がある。

これは、いわゆる陶製写本と称される

、葬儀用の壷に記された絵画や聖句から

改めて作成されたものである。

同書に匹敵するものとしては、

折りたたみ式の絵文書(コデクス) として遺された

トルテカ人とアステカ人の文献がある。

 

さらに、『往生術(アルス・モリエンディ)』として知られる、

中世ヨーロッパの死に関する一連の文献を加えることができよう。

 

古代の「死者の書」に初めて西洋の学者が注目するようになったとき、

彼らはそれを霊魂 の死後の旅を架空の物語に仕立てたもの、

あるいは、死という厳しい現実を受け入れることのできない人々が

希望を託して捏造したものにすぎないと考えた。

おとぎ話――

日々の生活と関わりのない、

まったく麗しい幻想による創作物

――と同じカテゴリーに入れていたのだ。

 

しかし、これらのテクストをより深く研究していくにつれ、

聖なる神秘と霊性の修行を背景にした手引きとして用いられ、

....修行者の体験を記してきたことが明らかになったのである。....

 

非日常的な意識状態に焦点を絞った現代の研究によって、

この問題領域に思いがけず新たな知見がもたらされた。

幻覚剤(サイケデリック) セッション、

薬物を使用しない強烈な心理療法(サイコセラピー)、

また自発的に起こる心理=精神的な危機体験に関する組織的な研究によって、

これらすべての状況においては、

あらゆる途方もない体験をすることが可能であると証明された。

そこでは、苦悶と死、

地獄巡り、

神の審判への直面、

再生、

天界への到達、

前生の記憶の甦りといった

一連の場面が体験されているのである。

.....

さらに、死生学(サナトロジー)における臨死体験についての研究では、

生命の危機に瀕した状況と関わる体験は、

幻覚剤セッションや現代の実験的な心理療法の中で

被験者が伝えた報告はもちろん、

古代の「死者の書」の記述ともきわめて似通っていることが証明されたのである。

実際、これらのテクストは、

人が非日常的な深層の意識状態において遭遇した、

霊魂=精神の奥深い領域の地図であることが明らかになってきたのである。

 

バルド・トゥドゥル (チベット死者の書)

 

チベット死者の書』は一九二七年に初めて英語に翻訳され、

それ以来、西洋の心理学者、作家、哲学者たちのあいだで高い関心を呼び、

また相当の部数をあげてきてもいる。

 

チベット死者の書』という書名は、

翻訳者であるアメリカの学者W・Y・エヴァンス・ ヴェンツが、

有名な(そして同様に間違った書名をつけられた)

『エジプトの死者の書』にならってつけた書名である。

正しくは「バルド・トゥドゥル・チェンモ』といい、

バルド(中有)における聴聞による大いなる解脱」を意味する。

(ソギャル・リンポチェ『チベットの生と死の書』)

 

死者の書」の中でも最もポピュラーなのが、

『バルド・トゥドゥル(チベット死者の書)』だろう。

『バルド・トゥドゥル』は、

チベット仏教に伝承されている死者の道案内をするための経典だ。

 

チベット仏教では、

今まさに死を迎えようとしている人の枕元に僧侶が座り、

耳元で声に出してこの経典を読み聞かせていく。

そして死んだ後、四十九日の間、毎日休むことなく

――途中、死体が荼毘に付されても――

死者に向けて『バルド・トゥドゥル』は読まれるのである。

日本でも「四十九日」という言葉だけは残っているが、

これは仏教的に言えば、魂が死後、

次の再生へ向けて「バルド」と呼ばれる世界でさまざまな経験をする、

その最長の期間を表わしている。

つまり、だれでも死んだ後は、

四十九日以内にはバルドを通過して、

どこかの世界へと転生していくというわけだ。

 

バルド=中有という言葉

 

バルドについてのチベットでの考え方については、

ソギャル・リンポチェの解説がわかりやすいので、

そのまま引用することにしよう。

 

〈バルド〉 はチベット語である。単に「移行」、

あるいはひとつの状態が完了し

別の状況が始まるまでのあいだの間隙を意味する。

〈バル〉は「中間」を意味し、

〈ド〉は「宙ぶらりんの」あるいは「投げ出された」を意味する。

チベット死者の書』の流行とともに知られるようになった言葉である。

.....

チベット死者の書』の流行のせいで、

人はバルドという言葉から死を連想するようになった。

バルドという言葉が、

チベット人の日常の会話のなかで

死と再生のあいだの中間状態を指してもちいられるのは事実だが、

この言葉は実はもっと広く深い意味を持っているのである。

.....

わたしたちの存在のすべては、

生、死にゆくことと死、死後、再生の

四つの現実に分けることができる。

これが〈四つのバルド〉である。

 

1 現世の自然なバルド(本有)

誕生から死までの期間。

2 死の”苦痛に満ちた”バルド

死のプロセスの始まりから、〈内なる息〉が絶える瞬間まで。

3 法性の”光り輝く”バルド

音と色と光による心の本質の輝きの体験、光明の死後体験。

4 再生の『カルマによってひきおこされる、バルド(中有)

新たな誕生の瞬間まで。一般に言われているいわゆるバルド。

 

これらすべてがバルド、つまり「移行」なのだという。

死んでから生まれ変わるまでに移行状態を経験するというのはわかりやすいが、

この誕生から死までの期間もまた、

同じように移行期間にすぎないというのだ。

「考えてみればわかることだが、

私たちのカルマの歴史の気の遠くなるような長さに比べれば、

この生で過ごす時間など実に短い移行にすぎないのだ」

とソギャル・リンポチェは述べる。

 

苦しみ多き輪廻の世界

ここで注意しておかなければならないことがある。

仏教の教えは、輪廻転生を大前提に置いてはいるが、

それを「よいもの」として肯定しているわけではない、

ということだ。

特に、小乗と呼ばれる仏教ではそれが顕著である。

 

つまり、輪廻の輪から脱却(解脱)してより高い世界へ至るか、

「涅槃」といわれる絶対寂静の境地に至ることが

その目的とされているのである。

なぜなら、輪廻の輪の中にとどまる限り、

わたしたちは無限の時を苦しみながら生き続けなくてはならないからだ。

 

なぜ苦しみながら、なのだろうか。

それは、六道輪廻説では、

人間の世界だけでなく、

畜生・餓鬼・地獄といった苦しみが大半を占める世界へも転生し、

そしてそこに一度落ちようものなら、

想像もできないような長きにわたる期間、

抜け出すことができないという。

輪廻の輪の中にとどまる限り、

そうした世界への転生は避けられないのである。

 

そのため、チベット死者の書には二つの目的があるといってもいい。

一つの目的は、

誤った(苦しみ多き世界への)輪廻転生をしないために、

できるだけ幸福な世界に生まれ変われるように。

もう一つの、最高の目的は、

輪廻を超えて解脱の境地へと至るために。

これらの目的のために、

死者の魂に向けて『バルド・トゥドゥル』は読み続けられるのである。