死んだらどうなるの?〜死後の世界を考える〜

ここを読んでいるあなたは、今何となく満足した心が生じているかもしれませんが、あなたを動かしている意識においては、何となく物足りない人生を送っているのではないでしょうか、、、

「臨死体験」は、唯物論科学では説明できない

1、臨死体験は「幻覚」なのだろうか

 

臨死体験や体外離脱体験について、

現在の科学(唯物論的な自然科学)では、

「すべて脳内で作り出された幻覚」

として片づけることがあります。

 

つまり

「すべては低酸素状態に陥った脳で起きた幻覚症状である」

というのです。 

 

しかし、果たして、

これらの体験は幻影や幻覚として

説明がつけられるのでしょうか。

  

 

人が死にかけたとき、

最後は血行が悪くなり、脳に血液がまわらなくなる。

脳細胞は低酸素状態になって機能が働かなくなり、

このときに現実と幻覚が入り交じるようになるというのです。

 

確かに、低酸素状態で恍惚状態になることは

かなり昔から知られています。

たとえば、柔道の絞め技で落ちたときや、

自殺未遂のときに幻覚を見ることがあります。

 

では、なぜ低酸素状態になると、

こういった快感が起きるのかというと、

「脳内物質の一種であるエンドルフィンが発生するからだ」

というのです。

 

しかし、果たして、

これらの体験は単なる幻影や幻覚として

説明がつけられるのでしょうか。

 

 

もし、これが幻覚だとすれば、

その幻覚を見ている人の脳は

激しい低酸素状態になっていなければいけないですし、

また、精神的にも正常ではなくなっているはずです。

 

しかし、実際の臨死体験では

「そのような事実がない」のです。

 

とすれば、臨死体験

「脳が生み出した幻覚」

とは言い切れないのではないでしょうか。

 

2、「臨死体験」と「幻覚」には相違点があった

 

中村雅彦助教授によると、

臨死体験と脳による幻覚には

次のような違いがあるとのことです。

  

相違点1『体験が起きる条件』

【幻覚】

幻覚を引き起こす条件(脳の機能異常、薬物投与、尿毒症、高熱など)が存在するほど、幻覚の発生率は高くなり、体験も豊富になる。

 

臨死体験

脳内の酸素の供給状態、熱の高さ、薬物投与の有無にかかわらず、一定の比率で臨死体験が報告されている。

 

相違点2『視えるヴィジョン』

【幻覚】

幻覚は、脳に蓄積されている記憶情報がもとになって生じるものである。だから、個人の過去の記憶、期待、欲求、コンプレックスがその内容に反映される。

 

臨死体験

人生を振り返る「走馬燈体験」は該当する可能性がある。しかし、全体的には、見えるヴィジョンが、本人の期待や欲求に反するものであることも多い。マルクス主義者がキリストの姿を見ることも少なくない。

 

相違点3『意識状態』

【幻覚】

正常な意識状態にある人ほど、幻覚を見ない。

 

臨死体験

臨死体験ではその逆である。酸素欠乏状態でない場合に起こりやすく、麻酔薬を使わないほうが起こりやすい。

 

相違点4『信仰の有無』

【幻覚】

「あの世」や「来世」を受け入れ、信じている人ほど、その信仰に沿った内容の幻覚が見える。したがって、幼児や無神論者は幻覚を見ない。

 

臨死体験

信仰の種類や信仰の強さは、臨死体験に影響を及ぼさない。また、幼児や無神論者にも同様に臨死体験が起こっている。

 

相違点5『病気の展望に関与しない』

【幻覚】

自分の病気が治ると期待している人には「現世」に関する幻覚が見える。また、自分が助からないと考えている人には「あの世」に関する幻覚が見えるはずである。

 

臨死体験

その人の病気の行方や展望に関係なく「あの世」的なヴィジョンが報告されている。

 

相違点6『心理的ストレス状況』

【幻覚】

強い心理的ストレス状況にあるほど見やすくなる。

 

臨死体験

慢性疾患に悩まされてきた者だけでなく、突然、危篤状態に陥った人にも臨死体験が起こっている。また、自殺未遂など極度の心理的ストレス状況のもとでは臨死体験の発生率は低く、体験内容も部分的なものが多くなることが報告されている。

 

相違点7『推測では測れない』

【幻覚】

幻覚の内容は脈絡がないもので、その人の周囲の環境の状況とは関連性が認められない。

 

臨死体験

事実を反映した「体外離脱」体験は、幻覚では説明できない。それは、推測や想像では知り得ない内容を含んでいる。

 

相違点8『個人ごとの内容の差異』

【幻覚】

幻覚の内容は、個人の性格や、文化的・宗教的背景によって大きな違いが認められる。

 

臨死体験

文化や宗教的な背景の影響は確かに認められるが、中核となる体験要素は普遍的な内容から成り立っている。

 

 

これほどまでに食い違う点が多い以上

臨死体験」=「幻覚」

とは到底呼べないのではないでしょうか。

 

 

3、「脳内現象説」での説明では不可解な点が残る

 

脳神経学では、

臨死体験の神経生物学的モデル」

という仮説が示されています。

 

これは、

臨死体験は、脳の側頭葉と

大脳辺縁系(旧皮質)が

深く関わった脳内現象である。」

とする唯物論的な自然科学による説明です。

 

しかし、実はこの説明にも大きな問題があるのです。

このモデルを提示したチリ大学の

サーデバラ・アギラル博士

ゴメス・ヘリア博士によると、

臨死体験は次のようなステップで起こるとのことです。

 

臨死体験の神経生物学的モデル』
第一
段階
病気・ケガ・心停止などによる生理学的ストレスが発生される。 脳の血流が低下し、脳が低酸素状態に陥る脳の血管の収縮が起こり、聴覚神経の細胞に異常放電が起こる 臨死体験聞こえる奇妙な音や騒音原因
第二
段階
ストレスと低酸素状態から、さまざまな神経伝達物質が放出 感覚の変化や、心理的変化が起こる エンドルフィンの放出で「痛みの消失」「幸せな気持ち」をもたらす
第三
段階
脳内化学物質のバランスの変化、血流低下・低酸素状態から、側頭葉と大脳辺縁系の発作が起こる。 大脳辺縁系の記憶検索装置が機能不全に陥る 過去の思い出が次々とよみがえる「走馬燈体験」や、側頭葉発作で体外離脱などの幻覚が起こる
第四
段階
側頭葉の発作による放電現象が脳内で広がる 視覚をつかさどる後頭葉に波及する 「まばゆい光」を見る

 

脳内でこのような現象が起こる

ということはありえるかもしれません。

 

しかし、この仮説では「なぜ」死ぬ間際になると

脳から過剰な電流が流れ出すような発作が起こるのか、

ということについては特に説明されていないのです。

 

また、先程述べたように、体外離脱体験などは

「幻覚」ではないことがはっきりしているので

臨死体験・体外離脱体験に当てはまっていない仮説

であると言えるのです。

 

また、「脳内現象説」に対して

日本ジャーナリストの立花隆氏は

次のように述べています。 

 

(脳内現象説では)臨死体験

はじめから終わりまで脳内で起きている現象だとする。

体外離脱したというのは、

体験者の単なる思いこみにすぎないと考える。

..…(中略)..…

客観情報を持ち帰った体外離脱例だけは、

脳内現象説では説明できない。

これらの話がもし本当だとすると、

脳内現象説は崩れることになる。

 

引用 立花隆臨死体験下』文芸春秋

 

4、「脳死状態」では幻覚を見ることができないはず...

 

臨死体験が脳内で作られた幻覚だとすると、

当たり前のことなのですが、

そのときには脳は何らかの活動をしているはずですよね。

つまり、脳波が測定できるということです。

 

しかし、実際には、脳波が停止した脳死状態でも

臨死体験をしている場合が多々あるのです。

 

脳死状態でも臨死体験は起こる』

それでもまだ疑いが残る向きには、

臨死体験は幻覚だとする考えに対する

いまひとつの反証を示そう。

それは、脳波計が反応を示さない患者にも

臨死体験が起こるという事実である。

 

通常の状態では、

話したり、考えたり、

想像をしたり、夢を見たり、

とにかく何かをすれば、

脳波計は大きく振れる。

 

幻覚ですら脳波計に記録されるのである。

 

しかし、脳波計がまったく無反応であったのに

臨死体験をしていたというケースが多くあるのだ。

 

もし、臨死体験が単なる幻覚にすぎないとしたら、

それは脳波計に表われなければならないはずである。

 

要するに、......(中略).....

臨死体験をする人々は、

幻覚や妄想に悩まされているのではなく、

まったく異なる現実のレベルを実際に訪れているのだ。

 

(マイケル・タルボット『ホログラフィック・ユニヴァース』)