死んだらどうなるの?〜死後の世界を考える〜

ここを読んでいるあなたは、今何となく満足した心が生じているかもしれませんが、あなたを動かしている意識においては、何となく物足りない人生を送っているのではないでしょうか、、、

12 世界の哲学・宗教にみる死生観

 

◎一霊四魂

 日本の古神道においては、一霊四魂という考え方がある。人の「霊」は四つの「魂」からできているというのである。一霊とは直霊(なおび)、四魂とは荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・奇魂(くしみたま)・幸魂(さちみたま)である。これは日本書紀にも名称が出てくるが、その内容については詳しく描かれていない。

 まず、霊魂は荒魂として出現する。これは荒々しく、猛々しい魂である。戦時や災害時に現われるともいう。

 この荒魂は祭祀を受けて鎮められることによって、和魂というおだやかな性質に変わる。つまり、同一の霊魂の二種類の側面を表わしたのが荒魂と和魂ということになるが、神社の中には同じ神を荒魂と和魂に分けて祀っている例もある。

 奇魂は、超自然的な力によって奇瑞をもたらし、また病気を治したり、健康などをもたらす力があるという。一方、幸魂は、狩猟や収穫における幸をもたらすものといわれている。

 江戸時代の国学者本居宣長によれば、幸魂・奇魂は和魂の効能を示したものであって、単独の霊魂を指すものではないともいわれている。

 

◎やがてカミとなる死者の霊

 日本では、人が死ぬと、霊は家の裏山や森に昇ると信じてきた。山に昇った荒魂は清められた祖霊となり、やがてカミとなる。カミは、里に降りてくるときは田の神や歳の神とされた。またいつしか氏神や鎮守の神としても祭られるようになった。

 恨みを抱いて死んだ人は、「御霊」などと呼ばれる怨霊になって人々に崇り、それを祀ることによって守護神に変えるということが多く行なわれた。たとえば、北九州の太宰府に左遷されて亡くなった菅原道真天満宮(天神)となった。保元の乱に敗れて讃岐に流された崇徳上皇は、その後も都に何度も異変をもたらしたとされている。また、承平天慶の乱を起こした平将門は、関東地方の守護神として神田明神などに祀られている。

 現在でも「守護霊」などといった概念が仏教系の宗教団体で語られることがあるが、本来は日本土着のアニミズム(万物に霊魂が宿ると考える原始的信仰)に端を発するものといえよう。

 

 

 陰陽の説によれば、人は死後、魂と魄(はく)とに分かれる。魂は陽に従って天に昇り、魄は地に降り、陰に従うという。つまり魄のほうは死後も地上にとどまるわけだ。そのため、魂は位牌にまつり、遺体は土に埋めて土葬とする。こうしておけば、死者は、死後も生前と同じように生活すると考える。

 魂はどこかに浮いているから、魄のほうを墓の中でしっかりと保管しておくなら、それを再び合わせれば死者はよみがえるという。それが、今の日本にも伝わる「先祖供養」や「お盆」の考え方にもなる。位牌を仏壇に置いたり、お盆に死者が帰ってくるからお祀りするというのは、実は仏教ではなくて、中国の儒教的な思想だったというのは驚きである。

 

 

 ギリシア神話の項に登場した琴の名手オルペウスは、その後教団を作った。彼の詩を聖典として礼儀を行ない、清浄な禁欲的生活をすることによって、天界に救われると説く。霊魂は人間の真の自我ともいうべきもので、もとは天上界において諸神と生活をともにしていた。つまり、人は神々であった。しかし、天上界で犯した罪によって、地上の世界に堕落し、肉体を受けて流転しなければならないという刑罰に処せられたのである。

 この説は、後にピタゴラスプラトンに影響を与えた。

 ピタゴラス(前五七O頃〜前四九七頃)は、「肉体は滅んでも霊魂は不滅である」と説いた。魂は、もともと住んでいた宿を去ると、常に新しい住居を求めて、そこに住み着く。魂は、動物の身体から人間の身体に移ることもあれば、人間の身体から動物の身体に居を変えることもある。

 ピタゴラス自身は、トロイア戦争のときにスパルタの王メネラーオスの投げ槍を受けて死んだトロイアの将エウポルボスである、と語っていた。アバスの町のユーノー神殿で楯を見たピタゴラスは、それはエウポルボス(つまり前世の自分)が左手に持っていた楯である、と言い当てたという。

 プラトン(前四二七〜前三四七)は、死後の人間の魂は生前の業によって各種の動物にはいるが、汚れのない魂は神々のもとに帰ると考えていた。食いしん坊で不摂生で酒浸りの人の魂は、ロバに入る。不正や専制や略奪を好んだ人の魂は、オオカミやタカやトビになる。哲学や知を求めて生を送った人の魂は、完全に清められているので、神々の種族に帰一する。この考え方は、仏教的な輪廻転生観にきわめて近いといえよう。

 

 

「わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである」

(ヨハネによる福音書8.42)

「イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り......」

(ヨハネによる福音書 13.3)

 神のもとにある世界から生まれてきて、死後は神のもとに帰るというイエスの言葉は、少なくとも今の生だけでなく直前と直後の生については述べていると解釈できよう。

 また、ヨハネの黙示録などの記述を見るならば、天地創造という「はじめ」と、世界の終わりという「終末」が登場する。人は肉体の死後、眠り続ける。そして、終末のとき、神の怒りの日、すなわち最後の審判の日に、すべての死者はよみがえる。そして、生前になしたことによって裁かれるのである。

 

「わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。海は、その中にいた死者を外に出した。死と陰府も、その中にいた死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた」

(ヨハネの黙示録 20.12~15)

「渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である」

(ヨハネの黙示録 21.6~8)

 

カトリック

 キリスト教の最大の宗派であるローマ・カトリックでは、人は死後、次のような場所に行くと説かれている。

 

・天国ーーイエスを信じ、徳に生きた人が行く。ここには肉の復活の希望がある。

・辺獄(リンボ=地獄の辺土)ーーイエス以前に生れた義人、徳高い異邦人たち、洗礼を受けないで死んだ幼児は父祖の辺獄に行く。地獄の苦しみはないが、神を見ることはできない。

・煉獄(プルガトリウム)ーーキリストを信じたが、罪を犯しその償いが果たされていない人間が、浄化のために行く。ここにいる人間は、罪悪感の為、火に焼かれるような苦しみを味わう。もはや行為によって償いをすることができないので、苦悩によって償う。

・地獄(ゲヘナ/インヘリウム)――邪悪の人間が行く。

 

◎ダンテ

 ダンテ(一二六五〜一三二一)の「神曲」は、地獄篇・煉獄篇・天国篇から構成されている。

 地獄は漏斗状の多層構造を持つ世界だ。ここでは死者が生前の罪を裁かれ、それに応じて罰を受けている。地獄の門を過ぎて嘆きの河(アケロン)を渡った後、下に向かって全部で九圏がある。その名称は「無信仰地獄」「邪淫地獄」「美食地獄」「貪鉄乱費地獄」「憤怒地獄」「異端地獄」「暴虐地獄」「欺瞞地獄」「反逆地獄」だ。さらに、各地獄にはいくつかの濠がある。

 最下層に位置する地獄「反逆地獄」は絶対地獄「氷地獄(コキュートス)」ともいわれ、さらに四層に分けられる。最下層の地獄は、ジュデッカと呼ばれる。

 煉獄は第一環道から第七環道まで。ここは、罪を浄化するための世界であり、神を賛美しつつも苦しみを味わう。驕慢、嫉妬、念怒、怠惰、浪費、食食、色欲という七つの罪が浄化されたならば、煉獄の頂上・地上楽園に到達する。

 そして、そこからさらに上昇すると、天国へと行けるのだ。天国は第一天から順に月(誓約を破った者)、水星(英傑)、金星(恋愛者)、太陽(賢者)、火星 (信仰者)、木星(義人)、土星(瞑想家)、恒星(聖人)の場所である。第九天は天使の住む原動天、第十天(至高天)は光明天ともいい、神の座である。

 これらの世界のどこに行けるかは、すべてその人の行ないにかかっているのである。

 

◎アルス・モリエンディ(「往生術」)

 十五世紀、ペストの大流行で死と直面した人々はいかに死ぬかと考え、「キリスト教死者の書」とでも呼ぶべき小冊子が何種類も登場した。それを総称してアルス・モリエンディと呼ぶ。その一種である「論争詩」の内容は、臨終の床を囲んで、天使と悪魔が肉体を離れようとする霊魂をめぐって争うドラマ。また、死にゆく人の経験する意識状態について、死にかけた人の証言から記したり、死後の魂の旅で遭遇する諸問題に備える指導をしている。つまり、キリスト教徒としていかに死ぬか、臨終にどうふるまえばよいかを説いているのである。

 

プロテスタント

 十六世紀以降始まった「新教」ともいわれるプロテスタントでは、あらゆる人間は生まれながらにして罪人であり、死後、永遠の地獄行きが定められていると説かれる。ただ、キリストを信じ、「義」とされた人々だけが永遠に天国に入ることができる。

 死後の状態は自分の力によるものではない。キリストの死と復活の恵みに対する信仰によって決定され、死後は神の御手に委ねられている。カトリックとは異なって辺獄・煉獄などもなく、死者に対する供養のようなものも一切無駄であると述べている。

 

 

 モハメッド(五七一〜六三二)が始めたイスラム教では、死後の世界はすべて神アラーの手にゆだねられている。そして、生前の行ないによって行くところが違ってくる。

 信仰のある者が死ぬと、白い衣を着た天使がやって来て、神のいる安らぎの場所に招く。死者の魂は麝香の甘美な香りを放つので、天使たちはその香りをかいで味わうという。その魂は天使から次の天使にと引き継がれ、ついには信仰深き魂のいる天国へと至る。天国の住人たちは、その魂を喜んで迎え、地上に残してきた人々のことについていろいろと尋ねるという。

 不信仰の者が死ぬと、怒りの天使がやって来る。その死者の魂は不快な悪臭を放ち、天使たちは気分が悪くなる。墓の天使たちから尋問を受けたあと、不信仰者たちのいる地獄に連れていかれることになる。

 ただし、地獄へ落ちた人であっても、ほんのわずかでも信仰心があれば、地獄の苦しみを永く味わったあとで、神によって救われると信じられている。

 イスラムシーア派の祖アリー((六〇三〜六六一)はマホメットの従弟にして女婿であるが、死後の様子を次のように語っている。これはキリスト教的な死生観と似ているといえよう。

「死後、魂は肉体を抜け出し、家族縁者の前に空しい屍となって横たわる。やがて、彼を地中に埋葬した後は、訪れる人も絶える。

 そしてついに彼の運命の記録の最後のページが繰られ、最後の審判の下るのを待つばかりとなる。

 最後の審判の日には、天地はぐらぐらと揺れ動き、地中に埋葬されていた者たちはことごとく引き出される。そして、神はそれぞれ隠していた彼らの行動を審問する。そして彼らを二つの群に分け、一方には恵みを、他方には罰を下す。現世で神の命に忠実に従っていた人々は神の館を永遠の住みかと定められ、神の命に背いていた人々は燃えさかる火の上着を着せられる。......」

 

  • 古代インドの輪廻転生説

 

◎五火説

 輪廻転生思想といえばインドを思い出すが、そのインドで輪廻転生思想がはっきりした形で登場するのは、紀元前八〜七世紀ごろ、「五火説」「二道説」としてである。これをセットにして五火二道説として説いている「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」という文献をもとにまとめてみよう。

 五火説は、死者が生まれ変わる過程を祭祀行為になぞらえて説いたものだ。祭祀では、まず、火神アグニに供物が投ぜられる。つまり、火の中に供物や犠牲獣が投げ込まれるわけだ。この、火の中に供物を投ずる行為を「ホーマ(護摩)」と呼ぶ。火神アグニは供物を上空にいる祭神に届ける。この祭りが終ったら、祭壇などの一切を破壊するという。

 一方、死者の転生の過程は次のような五回の祭儀から成るというのである。

 

1 世界という祭火(薪=太陽、煙=太陽光線、焔=昼、炭=月、火花=星)の中に

供物=「信」が投げ込まれる。

 そこから「ソーマ王」(月世界の王)が出現する。

2 雨雲という祭火(薪=風、煙=霧、焔=稲妻の閃光、炭=稲妻、火花=畿)の中に

供物=「ソーマ王」が投げ込まれる。

そこから「雨」が出現する。

3 大地という祭火 (薪=歳、煙=虚空、焔=夜、炭=四方、火花=四維)の中に供物=「雨」が投げ込まれる。

そこから「食物」が出現する。

4 男という祭火(薪=ことば、煙=気息、焔=舌、炭=眼、火花=耳)の中に 供物=「食物」が投げ込まれる。

そこから「精液」が出現する。

5 女という祭火(薪=陰部、煙=性的誘惑、焔=陰門、炭=挿入、火花=性の喜び)の中に供物=「精液」が投げ込まれる。

そこから「胎児」が出現する。

 

 少々ややこしい表現であるが、要約すれば「死者は一度月世界に行き、雨となって地上に落下し、そこから植物などに取り込まれて食物となり、それを食べた男の精子となって、女の胎内に注ぎ込まれて胎児となり、またこの世に生まれる」という考え方である。

 

◎二道説

 これに続いて、「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」では二道説が説かれる。死んだ生き物の死後のプロセスには、三つの道(主な二つと、どちらでもない一つ)があるというのである。

 

1 神々の道五火説を知る人、出家して苦行をする人は、死後、ブラフマン(宇宙の根本原理) へと導かれていく。

 

2 祖霊の道世俗の生活をしながら、祭祀や善行や布施をする人は、祖霊の世界に入り、そこから五火説に従って再び母胎に入ることになる。この世において好ましい行いをしていた人は、好ましい母胎である人間の母胎に入るが、汚らわしい行いをしていた人は、汚らわしい母胎である犬や豚などの母胎に入る。

3 小さな生き物たちは、このどちらの道をとらず、生まれればすぐ死に、死ねばすぐ生まれ

る。

 

 なお、やや新しい『カウシータキ・ウパニシャッド』の二道説では、死者はみな月に赴き、そこで裁きを受けるということになっている。いずれにせよ、輪廻転生する「祖霊の道」(2)と、それから永遠に脱却する「神々の道」(1)の二つが説かれたのである。二道はさらに精密に描かれ、天(神)、人、畜生、餓鬼、地獄の「五趣輪廻説」と、それに阿修羅を加える六道輪廻説が説かれるようになるが、これは次の仏教でもその世界観を受け継ぐことになる。

 

  • 仏教の輪廻転生思想

 

◎釈迦

 ゴータマ・シッダールタこと仏陀釈迦牟尼釈尊、お釈迦さま。前六〜五世紀ごろ)は、このインド的な輪廻転生観を受け継いでいる。

 ジャータカ(本生譚、本生経)という説話集は、釈迦の前生の生涯、その中での善行などを述べた物語を集めたものである。これは輪廻思想に基づいている。前生の釈迦は「菩薩」と呼ばれ、神・人間・ウシ・サル・シカ・魚などとなっている。南伝仏教では五百四十七話もの本生譚があるという。日本では、「日本霊異記」「今昔物語集」などにこれらのストーリーのいく つかが取り入れられている。法隆寺の玉虫厨子の台座絵には、前世の釈迦が飢えた虎に自分の身を投げ出して食べさせた、という「捨身飼虎図」が描かれていることで有名だ。

 そのほかの経典などにも、釈迦は確かに前世の存在を認めている発言があるようである。

 

◎輪廻する主体は存在しない?

 ところが、仏教徒の中で輪廻を否定する考え方がある。そもそも、輪廻するためには輪廻の主体がなければならない。ところが、釈迦はその主体である「我」はない、つまり「無我」を説いたのだ、という。自分などというものはもともと存在しない、というのだ。そうなると、輪廻する主体がないのだから、輪廻そのものもない、ということになってしまう。

 大乗仏教では「無我」を強調する。「無我」こそ仏教であって、「我」があると主張するのは仏教ではない、と断言する学者もいるようである。だが、釈迦はそのようなことを説いていなかったらしい。

......仏教に特徴的な思想といえば、「無我」ということになろう。

 「私」、つまり自我というものがあると思うからこそ、自己愛やエゴイズムや生命への執着など、ありとあらゆる欲望が生じる。あらゆる欲望は、自己を保存し、拡大しようとするところに発するといっても言い過ぎではない。

 しかも欲望の追求はきりがないから、いつかは挫折してかえって欲求不満と苦しみをもたらす。......だから、自我は錯覚であること、無我であることを悟ることが、解脱にとって最も大切なこととなる。これは日本の仏教では、禅宗で最も強調された考えだ。座禅の目標も、とどのつまりは無我の境地ということなのである。

......

 ところがその後、仏教学やインド学関係の本を読みあさるようになって、厳密な文献学的研究によって、仏陀は実は無我の教えなど説かなかったということが明らかにされていることを知った。

 たとえば、東方学院院長の中村元氏といえば押しも押されぬ仏教学インド哲学の大家だが、その『自我と無我―インド思想と仏教の根本問題』(平楽寺書店、一九六三) によると、仏陀が説いたのは無我の説ではなく、非我の説なのだという。つまり、「自我はない」という説ではなく、「自我は......ではない」という説なのである。何かを「私」である、と思い込んでも、それは実は「私」ではない、というわけだ。

 なんのことはない。仏陀の教えは、数百年前のヤージナヴァルキャの「ではない、ではないのアートマン」の説と同じではないか。仏陀=シッダールタはクシャトリヤ(王族) の出身だから、婆羅門の聖典である『ウパニシャッド』は読んでいなかっただろうが、なんらかの精神的影響は否定できないだろう。

 ただ、仏陀は、自我とは何か、といった問いをそれ以上つきつめても、悟りには役に立たないとして、議論を打ち切ったらしい。

(渡辺恒夫『輪廻転生を考える 死生学のかなたへ」講談社

 

 ヤージニャヴァルキャとは、釈迦から数百年さかのぼるインドの哲人である。  ヤージニャヴァルキャは、各自の志向にもとづいてなされる善悪の「業(行ない)」こそが輪廻転生の原動力であり、その志向を抱く「自己(我、アートマン)」が輪廻の主体であると明らかにした。また、「業」とは、本来の意味は「行ない」であるが、それが目に見えない潜在的・ 実体的な力に転じて蓄積される、とも説いている。 この真実のアートマン、真実の我は、肉体などとは全く別のものであり、しかも肯定的な言葉によっては規定できない。

 

「かのものは『あらず、あらず』〔としかいいようのない〕アートマンで、不可捉であります。なぜなら把捉されないからです。〔かのものは〕不壊であります。なぜなら、壊されないからです。〔かのものは〕執著と無縁であります。なぜなら、執著されないからです。〔かのものは〕束縛されることなく、よろめくことなく、傷つくことがありません......」

(『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』)

 

 ヤージュニャヴァルキヤが一貫して追い求めたものは、真実のアートマンである。 世間の人びとがアートマンだと思っているものは、真実のアートマンではない。というのも、「アー トマン」を意味するとされる「わたくし」ということばを主語として、世間の人びとは、それにさまざまな述語 (属性、限定)を連結させるからである。「わたくしは〜である」と世間の人々は口にし、それがアートマンであると思っている。 しかし、真実のアートマンは、いかなる属性も限定ももたない。つまり、真実のアートマンは、こうである、ああである、というように、ことば(概念)によって捉えることはできない。あえて真実のアートマンをことばで表現しようとすれば、右の「〜」に入りうるあらゆることばを羅列し、そして片端か ら「〜にあらず」というしかない。

 ところで、こうしたものとしての真実のアートマンを感得するためには、それなりのことを試みなければならない。いわゆる「修行」である。......

 

 最初期の仏教は、「無我説」というよりは「非我説」というべきものであるが、これもまた、ヤージュニャヴァルキヤの「真実のアートマン」論の仏教版といってさしつかえない。

宮元啓一「仏教誕生」筑摩書房

 

唯識派のアーラヤ識説

 ところが、やがて仏教徒は「非我」ではなく「無我」、つまり「我というものは存在しないのだ」と考えるようになる。しかし、そうなると、何が輪廻する主体なのか、わからなくなってしまう。輪廻する本体が存在しないのに、どうやって輪廻が起こるのか。その矛盾を何とか説明するために現われたのが、唯識派という大乗仏教の一系統の「アーラヤ識」説である。

 唯識説によると、心は八層(八識)から成るという。まずは五識(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、 触覚)、そして思考や意志を意味する「意識」、さらにその奥に自我(とわたしたちが思っている)「マナ識(末那識)」、さらにその奥の無意識である「アーラヤ識(阿頼耶識)」が存在しているという。

 

 心の根底にアーラヤ識という無意識を想定し、アーラヤ識の果てしなき流れが輪廻の主体だとしたのである。

 そして、「自我」だと思われているものは、無意識の流れにポッカリ浮かんでは消える泡であって、この泡が消えるまでの短い時間が私たちの一生であり、次の泡が流れに浮かんで現われるのが、「転生」つまり、生まれ変わりとしたのである。

(渡辺恒夫『輪廻転生を考える 死生学のかなたへ」講談社

 

 結局、無我という解釈をしたがために、アーラヤ識なるものを作り上げなければならなかったわけだが、アーラヤ識と「真実のアートマン」は同工異曲のもの、つまり同じものを指しているといってもよさそうだ。

 なお、この「泡」という表現は、『方丈記』にもみられる。

 

◎極楽浄土

 さらに下って、仏教の中でも「浄土教」が広まった。その土台となった「浄土三部経」は紀元後に作られたものであり、さらにそれが中国・日本で独自の信仰を有するようになったのである。これは現在、日本では浄土宗(法然)・浄土真宗親鸞)として広く信仰されている。

 浄土とは「清浄国土」の略。現実の穢土に対して、仏の世界が浄土とされた。

 浄土にも三種類想定されている。浄仏国土、常寂光土、来世浄土である。

 浄仏国土とは「仏国土を浄める」という意味。つまり、世界を浄土化しようというものであって、菩薩がその作業を努めるとされている。

 常寂光土は、永遠・絶対の浄土を意味する。これは相対的・限定的な枠組みを越えた絶対的な世界なのである。だから、このふつうの世界においても感得されうるという。

 それに対して、一般的に浄土と言ったときに想定されているのは、来世浄土のことだ。これは、死後赴く来世の浄土である。東西南北に想定されており、

・東方 浄瑠璃世界 薬師仏

・西方 極楽世界 阿弥陀仏

・南方 離塵垢心世界 文殊菩薩

・北方 知水善浄功徳世界 普賢菩薩

の四種類があるとされている。このなかで最も重要視されたのが西方極楽浄土であるため、浄土といえば極楽浄土、ということになった。

 

浄土 ......この世に仏はいないが、死後の来世に他の世界に行けば仏に会えるということで考えられた浄土である。阿弥陀仏の西方極楽世界に往生するという信仰が日本にいたるまで最も盛んとなり、死にさいして阿弥陀仏が迎えにくる(来迎) という信仰もおこり、それらを教理化して浄土念仏思想が発達し、浄土変相図や来迎図などの絵が描かれた。

 

極楽 サンスクリット原語は〈楽のあるところ〉という意味で、阿弥陀仏の住する世界をさす。

中村元ほか『岩波仏教辞典」岩波書店

 

 極楽浄土の自然は、何でも黄金や宝から成っているものとされている。恐らく、浄土経典の作られたクシャーナ王朝時代は、インド古代・中世史を通じて、金貨の流通量が最も多かったし、また最も良質のものが通用していた時代であったので、このような希望的空想がかき立てられたのであろう。......極楽浄土の荘厳、うつくしさは、全然でたらめな空想の所産ではなくて、当時の富者階級の生活が理想化され誇張されて、そこに反映しているのであろう。

 ところで、極楽浄土は罪や汚れの無い清らかなところでなければならないのに、それが黄金臭を紛々とまきちらしているとは、人間とは何と貪欲な、エゲツナイものなのだろう。しかし、また「あらゆる見事な宝石で作られた牢獄に入ることなかれ」という経典の文句は、現代のわれわれに、痛烈な皮肉として響いて来るではないか。

 (中村元早島鏡正紀野一義訳註『浄土三部経 上・下』岩波文庫