意識は脳から生まれるのか、脳が死んでも意識は残るのか
「意識は脳だけで説明できない」と結論づけたペンフィールド
「死後の世界があるかないか」
ということは、
「肉体が滅んでも意識だとか魂だとか呼ばれるものが残るのか」
というふうに言い換えることができる。
つまり、
「意識は肉体と切り離されても存在できるのか」
ということだ。
意識というものは、肉体から離れても存続するものなのだろうか。
それとも、意識は脳が生み出したものにすぎず、
脳が死んだら意識もなくなってしまうのだろうか。
一見、簡単なようだが、
実はこのことが現代科学では証明しきれていない。
脳生理学など、脳と意識の関係を研究する学問も発達してきてはいるが、
それでも
「意識はすべて脳の働きによって生み出されている」
ということが証明されているわけではない。
それどころか、
生涯、脳の研究を続けてきた権威が、
「脳の神経作用によって心を説明するのは、絶対に不可能だ」
と述べているのだ。
その人物とは、世界的に有名なカナダの神経外科学者
ペンフィールド(1891-1976)である。
わたし自身は、
心を脳の働きのみに基づいて説明しようと
長年にわたって努めた後で、
人間は二つの基本的な要素からなるという説明を受け入れる方が、
素直ではるかに理解しやすいと考えるに至った。
この場合、心の働きに必要なエネルギーは、
私たちが目覚めている間に最高位の脳機構を通じて
心に供給されると考えることができる。
脳の神経作用によって心を説明するのは、
絶対に不可能だと私には思える。
また、私たちの心は、一生を通じて連続した一つの要素
であるかのように発達し、成熟する。
さらにコンピューター (脳もその一種である) というものは、
独自の理解力を有する外部の何者かによってプログラムを与えられ、
操作されなければならない。
以上の理由から、
私は、人間は二つの基本要素から成る
という説を選択せざるを得ないのである。
これが、多くの確固とした科学者の求めている、
最終的な解明へ至る見込の最も大きい道だと私は考える。
(ペンフィールド/塚田裕三・山河宏訳『脳と心の正体」法政大学出版局)
ペンフィールドは、
「人間の心のはたらきは、すべて脳によって説明できるときが来る」
と信じ続けて、人の脳の構造と機能を研究してきた。
ところが、晩年になって、
そのポリシーを捨ててしまったのだ。
「人間の精神活動は、脳では説明しきれない」
–––––人間の精神活動(意識)は、
脳とは別のものが存在すると考えなければつじつまが合わない、
というのが、ペンフィールドの生涯をかけた研究の末の結論であった。
脳のはたらきは意識を説明しない
脳生理学が発達すれば、
「意識」というものがすべて脳内の化学的・物理的な
はたらきとして説明できるだろう、
という期待が高まった時期もあった。
しかし、脳に関する研究が進めば進むほど、
心のはたらきを脳のはたらきだけでは
どうも説明できないという例があまりにも多く出てきたのだ。
思想家であり科学者でもあるアーサー・ケストラーは、
その著書『機械の中の幽霊』の中でこう語った。
心象事象は物質の事象とはっきり違う特性を持つのだと主張したのは
心理学者や論理学者であった。
すべての心象事象は脳中の「自動電話交換」の働きに還元される
と考えがちであった。
ところが最近五十年間に、
事情はほとんどまったく逆転した。
オックスフォードの大物たちが物笑いの種にし ている間に、
脳の解剖学、生理学、病理学、また外科医を生涯の仕事としている人たちは、
ますます逆の見解に傾いていった。
それは次のようなあきらめの言葉で要約することもできよう。
「おお、脳は脳、心は心、相会うすべは知らない」
さらに、著名な科学者・哲学者たちの見解を列挙してみよう。
◎脳だけでは意識・イメージ・記憶が説明できない
まず第一に、現在わたしたちが持っている脳に関する知識では、
意識を説明することができない、という点があげられる。
......人間の脳を研究すれば、
特定の波長の光が目に入ると青い色を感ずる理由は
明らかになるかもしれないが、
青という意識をそれ以上分割することはできない。
意識が解明されれば脳も結局は説明できるであろうが、
脳によって意識を説明することはできないであろう。
第二点は、脳に関する現在の知識では、
人間が心の中に描くイメージの持つ特徴が説明できないことである。
脳内のニューロンをどう組み合わせても、
わたしたちが丸い形を見ているときのような円形にはならない。
円や四角形をはじめほとんどの図形を見る時に
私たちが経験する知覚は、
ニューロンの空間的配列とは対応していないのである。
専門用語で言えば、
人間の五感による知覚内容と
脳内のニューロン配列は同形ではない。......
第三に、現在の脳に関する知識では、
記憶が十分説明できないことがあげられる。......
第四点は、心的現象は、
私たちが日常生活でなじんでいる空間とも、
物理学者が記述する物理空間とも
異なる空間の中で起こるということである。......
第五点として、私たちが脳について理解している範囲では、
テレパシーをはじめとする超常現象が説明できないことが挙げられる。
(ヴァージニア大学医学部精神科主任教授イアン・スティーブンソン氏)
◎脳と意識には関係があるが、脳が意識を生み出すとはいえない
脳神経の研究がどれだけ進歩しようと、
それが語っているのは、
精神的過程と肉体の物理的過程の間に
相関的関係ないしは相互関連があること、
それだけである。
脳が精神作用を生ずるなどという結論は出てこない。
......
そして脳の物理的過程と精神作用とを
別々の次元に属するものとして立てる時、
精神生活の方が脳の生理過程より全体として
遥かに複雑で、広大な内容を持っている
と考えざるを得ないのである。
◎神秘家の体験は大脳生理学レベルの意識とは次元が違う
大脳生理学で今まで扱ってきている意識というのは、
いわゆる神秘主義で知られていた意識からみれば、
ごくごく一部にしかすぎないように思われます。
なにかを理解するとか、
記憶を思い出すとか、
ものをしゃべれるとか、
言語を思いつくとか、
だいたい低レベルの
––低いと言えるかどうか分かりませんが––
その程度の意識内容でしかありません。
......
ところがいろいろな神秘家の体験を丹念に調べてみますと、
どうもそういう人達の感じている意識というのは、
今まで大脳生理学で調べてきた程度の意識とは、
かなり次元の違う意識を経験しているのではないかと感じるわけです。
(国際基督教大学教授・石川光男氏(理学博士))
◎脳は精神活動を調整する器官にすぎない
脳はただ、
精神の活動が行為として、
物質の世界に自己を実現してゆくにあたって、
それを外界の実在に順応するように調整する器官にすぎないのである。
脳は思考や感情や意識を生産する器官ではない。
(アンリ・ベルグソン(フランスの二十世紀を代表する哲学者))
もし、人間の意識が物質である脳を
超越するものであるならば、
肉体の死後に意識が存続する可能性は
高いと言えるのではないだろうか。
先述のアンリ・ベルグソンも、
「死後の精神の存続は大いに真実味を帯びる」
と述べているのだ。